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日本的組織の意思決定は「○○さんが怒る」で決まる説

 「虎の尾を踏む」、「逆鱗に触れる」、「藪をつついて蛇を出す」、なんて諺がありますが、日本社会は、所属する集団内の自分より地位の高い人を怒らせることに非常に恐怖を感じる特性があると思います。
そのため日本的な組織の意思決定は、理論や、効果効率ではなく、最終的には「○○さんが怒る」で決まるケースが多いと思います。
特に、大きな組織、古い組織になるほど、その傾向が高まります。

過去に虎の尾を踏みまくってひどい目に遭っている体験から考察を述べていこうと思います。

その1.経営改革提案した結果
 独立前のサラリーマン時代の話です。
社員数200人くらいの建設系の技術コンサルタント会社に勤務(私は道路が専門です)しておりましたが、私の場合、理詰めで空気を読まずに発言してしまうタイプで、若手時代から、上下関係や礼儀作法にこだわるような先輩を「生意気な!」と怒らせることが度々ありました。そんな私でも先輩に可愛がられて楽しくやっていました。
そう経営改革提案までは。

 30歳も過ぎた頃から建設不況が始まり、受注が毎年激減し、会社の経営も傾いていきました。そこで社長の声掛で、若手の経営改革提言グループを立ち上げ、各部から代表を集めて私がリーダーをすることになりました。
 その時の会社の現状は、営業部の営業報告は、「今月は○キロ走りました」なんてレベルで、技術部は実務をやらない管理職、間接人員が多くを占めていました。
 このままだと、数年内に経営破たんは明確な状況でした。
 そこで、例のごとく理詰めで、科学的営業や間接コストの削減など提案を作成していきました。

 すると、営業部代表の若手が「営業に喧嘩売ってるのか!」と怒鳴りだしました。
 そこで、私が「自分の所属部署の利害代表になるな」、「根拠のある発言をするように」と説得したのですが、すると「こんな提案をしたら○○さんが怒る」、「この会社に居られなくなる」と涙目になっているのです。
 その営業代表の人は、「俺は断固抜ける」といって参加しなくなりました。


 こんな感じなので、もし提案をしたら、営業部はもちろん、技術部に対しても、外注費を削減(内製化)するために、管理職は実務復帰、会議は定時以降に行うなど提案内容が含まれていたので、「○○さんが怒る」状態が集団発生すると思っていましたが、「会社がつぶれそうな状況で、そんな場合じゃないでしょう」と思いきってやってみることにしました。
 そして、管理職を集めた会議で、経営改革提案を行いました。
 実際に提案してみると、その場で怒る人はいませんでした。また、理論的な反論もありませんでした。賛同する人もいれば、「理屈は分かるが嫌だ!」と素直な人もいました。ところが、ある部長が「君は管理職経験がないからマネジメントを知らない」、「マネジメントとはそういうものではない」と言い出しました。

 そこに、周りの管理職が同調して、「君はマネジメント知らない」の大合唱になってしまいました。
 「ちゃんと理論で議論しましょうよ」といっても、「いやいや管理職経験がない君には分からない」、「口で説明できるようなものではないんだよマネジメントとは」などと、もう議論にもなりません。
 で結局、改革提案内容はなにもやらないことになりました。

 会議後、「何もやらないそうです」と社長に報告しました。その日の夕方、ある部長に別室に呼び出され行ってみるといきなり「社長にチクったな!」、「会社に文句があるなら辞めろ!」、「お前の代わりなんていくらでもいるんだ!」とすごい剣幕で怒鳴り出しました。

 そこで私が「ハア?チクった?社長の声掛で始めた経営改革提案で、結果を社長に報告しただけですが?」、「それで辞めろというなら今すぐにでも辞めますよ!」と応えると、「ちょっちょっと待って」と腰砕けでした。
 また、会社中のあちこちの管理職は陰で激怒だったらしいですが、私に直接怒ってきた人はいませんでした。


 正直、「○○さんが怒る」なんて大したことないな、と言う感じでした。
ところがこれで終わりません。会社を思って提案したら、いつのまにか犯罪者みたいな扱いで、社内中から冷たい目で見られるようになってしまったのです。しかも一緒に提案した他の若手までバッシングする側に回っているのです。
 もう、「『何をいっているのか分からねー』と思うが、俺も何をされた分からなかった」、「恐ろしいものの片りんをみたぜ」という感じです。
 
 このからくりは簡単に言えば、管理職のバッシンググループが出来て、そこに同調者が出て、さらに部下や他の社員に悪評を吹聴することで、組織全体で特定の個人を悪者にできるという感じです。
 いや~年功序列の組織で、「○○さんが怒る」って本当に恐ろしいことだったんですね。
 
 懲りない私は経営改革を諦めず、その後、ドロドロの第二ラウンドに続いて結局敗北したわけですが、詳細は割愛します。 (※詳細は別サイト「経営改革でひどい目に遭った話」で書いています)


 結局は、管理職グループが「大手と技術競争して勝つ」という夢の目標を掲げ、実際の働き方は何も変えない、唯一やったことは、一律、人件費カットです。賞与ゼロ、残業代ゼロ、基本給カットと続き、年収は半分になりました。
 でも、みんな平等一律カットだと、「○○さんが怒る」は生じないんですね。
 経営トップである社長(雇われ)が、この案を採用するのですから、社長も「○○さんが怒る」に大きな影響を受けていたことになります。常にボトムアップ、合意形成を訴えていた人でしたから。
 普通に考えてそれでは経営破たんは確実なのに人間の集団意思決定のいい加減さに呆れたものです。
 組織構成員全体が希望的観測にすがってしまうようになることに恐ろしさを感じました。
 私は、その時点であほらしくなり辞表を出しました。
 ※そこで、今度は「裏切り者!」バッシングですよ、文句があるなら辞めろって言ってたくせに。

 この経験から、次は、すぐに就職しないでマネジメントを徹底的に勉強して名実ともに極めようと思いました。それが中小企業診断士受験への挑戦の始まりです。
この時の経験は私にとっては宝ですね。本当に感謝しています。
 その会社は、私の退職後、中堅若手の大量の連鎖離職が起こって業務実施能力を失い、解散が確定し3年後に消滅しました。
 もう少しもつと思ったのですが、200人の会社でも、一度、崩壊しだすとあっけないものです。
 こんな会社でしたが、楽しい思い出も多く、無くなると寂しいものです。

その2.建設マネジメント研究
 退職後、2年間無職でプラプラしながら中小企業診断士の勉強したのですが、合格できませんでした。
 勉強時間は2000時間以上です。無職で専従した割には大して勉強してない?毎日ブラブラ夢のような生活でした。

 35歳を超え独身無職、空白2年以上、貯金も減って、さすがにやばいことになり就職活動を始めました。
 するとあっさり、大手の技術コンサルタントのマネジメント部門に就職が決まりました。
 「2年間無職でマネジメントの勉強をしていました」で信じてくれたのですね。
 入社後、ひょんなことから、国所管の研究機関に出向することになり、欧米の建設マネジメント研究専門部署の研究員になりました。
 欧米の建設マネジメント方法を調査し、日本と比較し、報告書を書いたり、政策決定のもとになる資料を作ったりするシンクタンク的な仕事です。国の本省を相手にした仕事で、海外調査も多く、夢のような職場でした。本当にラッキーでした。

 その組織の上層部はキャリアOBか、キャリアの現役出向者で、研究員はプロパーと各大手コンサル会社からの出向者という感じでした。私は研究員として、元からの技術士としてのキャリアとマネジメント知識を併せて、日本と欧米制度の違いについて、かなり突っ込んだ報告書を書いていきました。
 書かれた報告書は、上司(行政出身者)や発注機関(行政)のチェックを受けますが、その中で「こんなことを書いたら○○が怒る」ということが何度かありました。「俺もその通りだと思うけどちょっと」という感じでした。結局、多少の言い回しを変えて、中身は変えずに提出し、別に怒られることもなく、高く評価していただきましたが、「○○が怒る」と言うことへの恐怖心を感じているようでした。
 また、他機関との合同会議や、委員会等が開催されて手伝いをやることもありました。会議では、いろんな機関に天下ったキャリアOBや、現役官僚等が混ざるのですが、会議の各人の席位置をどう決めるか、これが民間からの出向者には全く分かりません。適当に決めて行政出身者に見せると、「違う違う、この人は入省年度が○年で、最終役職が局の○○だったからこの席」、と言った感じで修正が求められます。いろんな序列のルールがあるようでした。
 しかし、こうして席順に配慮が必要ということは、序列をめぐって「○○さんが怒った」ということがあるのかもしれません。
 実際に怒ることは、まずないと思いますが、もし一度そのようなことが起こると、組織に生きるものは大きな損害を受ける可能性もある訳で、行政というのも大変だな、と思いました。
 研究機関での夢のような2年間が過ぎ、中小企業診断士も苦節4年で合格することができました。
 出向元の大手コンサルに戻ったのですが、独立してみたい願望を抑えられません。失敗するなら早い内がよいと思い、思い切って独立することにしました。
 ※独立すると聞いて、研究機関からプロパーにならないか誘われましたが断腸の思いで断りました。サラッと自慢です。

次のページへつづく

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