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独立してよかったこと、残念だったこと【中小企業診断士編】

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独立して10数年になります。
独立するか悩んでいる人の参考になることもあると思いますでので、中小企業診断士を取得し独立してよかったこと、残念だったことについて、書いていこうかと思います。
※自分の備忘録的な意味も兼ねて、なるべく具体的に書きます。(長いです)

独立してよかったこと

①圧倒的に自由が増えた

自由(時間的・精神的な)を最も重視するタイプなので、圧倒的に自由が増えたことは、独立してよかったことの筆頭に挙げられます。
 毎朝、定時に出社する必要も、ノルマもなければ、休みを取るのにも誰の許可も手続き要りません。組織の同調圧力みたいなものとも無縁になります。
 独立当初は、開放感がすごくて、同じような独立したばかりの人達と昼間から情報交換と称してお酒を飲んだり(サイゼリヤ昼呑み最高です笑)、通勤の必要もないことから、自然環境のよい郊外に引っ越し、まだ小さかった子供と平日の真昼間に野山を散歩したり、遊びまくっていました。
収入もない状態だったので、心から自由を謳歌する感じではなかったですが、家族と過ごす時間が大幅に増えて、本当に良かったと思いました。
 その後も、仕事に熱中していた時期も、そうでない時期(ほとんどの期間笑)もありますが、忙しい時も「やらされてる感」がないので不自由さはあまり感じませんでした。
 基本的には、独立後、ずっとサラリーマン時代の半分も働いていない状態で呑気に暮らしています。

②自分でやることを自分で決められる(不毛なものに関わらなくてよい)

サラリーマン時代の職歴は、大企業の関連子会社、一部上場企業、国所管の研究機関などで、すべて年功序列的組織でした。
 企業組織って、働いてみると、どこも無駄だらけ、不毛なことだらけだと思ってしまいます。
 まず、企業活動に必要のない仕事、役職、人員が多過ぎると感じてしまいます。
 組織トップの主体性のなさ、組織集団の意思決定レベルが低さ、運営上の無駄な承認や儀式、非寛容さに溢れていて、仕事上の制約条件も大きすぎです。
 まず、新しいことはやれません。

 大企業出身の人にありがちな「如何に自分の会社がすごいか語るおじさん」を見ると、そう思えることは幸せなことだとは思いますが「本当にそう思う?」と驚くと共に、実力には疑問符を感じています。

 独立前の、私の所属部署は、「新事業開発室」(実際は何も新事業開発していない)だったので、まずは社内で自分がやりたい事業を提案してみたのですが、会社側は、まるっきり非寛容な態度でしたので、即独立を決断した経緯があります。
 
 独立時は、不毛なことに人生の時間を取られず、自分のやりたいことに100%集中できることに、ワクワク感が止まりませんでした。
 
 同時に、サラリーマン気分も抜けず自分で決めることに慣れていませんでしたので、具体的な「やること」で思い浮かんだのが「仕事に繋がりそうな人脈作りと」「お勉強」だけという稚拙な状況でもありました。
 結果、半年以上も何の収入にも繋がらない状況でしたが、そんな、収入ゼロ状態の中で、暗中模索で断片的な情報を収集しながら自分で考えて試行錯誤して日々を重ねると、日銭を稼げるようになります。
 いろいろな経営者やプロのコンサルタントと知り合う機会も多く、2,3年経つと霧も晴れ、小さな丘に登って、周りが見えてくる感覚が掴めました。
 その状態になって以後は、やるべきことを誰の許可も指示も要らず、自分で考えて最短ルートでやるだけなので、そこから先は、楽でした。

 普通のサラリーマンが起業独立する場合、100%自己責任、自分で決めて行動する世界に、いきなり放り込こまれて失敗するケースが多いと思いますが、情報も経験もない稚拙な状態からソフトランディング的に順応期間が持てた点が、中小企業診断士を取得しておいて良かったと思いました。

③いろいろなチャレンジと小失敗ができる

中小企業診断士は独占業務が無い反面、活動領域は広く、経営・ビジネス全般の何でもあり、協会等に研究会も多く、他の専門家と繋がる機会があり、公的支援で日銭が稼げるような場もあります。
 私の場合は、仕事のあても、収入もゼロで独立したので、自分の得意分野、稼ぎ所を見つけるために、いろいろチャレンジと小失敗をしてきました。
 チャレンジしたものは、知財、新技術開発(補助金を絡めて)、産官学連携、提案営業支援、セミナー業、その他いろいろです。
 数か月単位で勉強や研究会に参加したり、少し関わったりした程度ですが、成功しそうもない、思っていたのと違う、向き不向き、私自身が熱量を持てないなどの理由で、撤退しています。
 個人コンサルで活動する場合、こうしたチャレンジに失敗しても、数か月、数百時間の時間投資が回収できないだけで、破滅することはありません。
 また、数百時間の時間投資は、それなりに知見が広がり100%無駄にはなりません。
 こうやって、いろいろチャレンジと小失敗を重ねながら、やりたいこと・適性や稼ぎ所を探れる点は、中小企業診断士を持って独立して良かったと思いました。

④とにかく楽しい

私の場合、33歳時に勤務先が経営破綻し、無職になって診断士の勉強を始めて、そこから再就職、4度目の二次試験で診断士合格し、即独立、試行錯誤と続きます。
自分の人生の中で一番楽しかった期間は、この33歳~40代前半の肩書ゼロで収入も少なく試行錯誤していた期間です。不安もありましたが、毎日ワクワクしていました。


※参考コラム:リスクを取って挑戦してきて良かったと思えた体験談
 
 逆に仕事が軌道にのってからは、安定し、自由かつ気楽ではありますが、ワクワク感は少ないです。

 ギャンブルやゲームと同じで、先が分からない状態で、自分の意思決定と行動で未来が白黒と変わる点が、ワクワク感の要因なのかとも思いますが、気力と能力のピークと言える30代~40代にかけて楽しい日々が過ごせたことが本当に良かったと思います。

⑤ストレスが減った

 独立前の仕事は、建設コンサルタントという業種で、建設事業の計画や設計を行う仕事です。
一人当たりの売上ノルマは3000万くらいです。私の場合は、少し自慢になりますがノルマの二倍くらいは普通でした。
 建設コンサル業は個人事業者の集まりみたいなもので、行政機関から一式の総価による委託契約で請けた業務を受注から終わりまで、一年近い工期を、ほぼ一人で回すのですが、数百万から数千万くらいの業務を複数抱えて、同時並行的に業務を行うことになります。
仕事のイメージは、事業費数百億円の公共事業の、最適な仕様、工法、構造、金額を確定することで、本当に設計した通りに道路や橋が出来ていくので責任は重大です。
例えば、延長数キロの高速道路の設計となれば、技術的課題以外にも、地元や関連機関との協議も含めて、解決しなければならない、あらゆる問題が詰まっているもので、20代~30代前半の生活は、複数業務を常に抱えて、朝から晩まで、客先からの電話対応や打ち合わせ(出張)、協力会社への指示、ひたすら検討や計算、報告書作成と言った感じの、常にやること山積みの生活でした。
残業で疲れて帰ってきて、夜寝ていても、仕事に追われている夢ばかりみていました。
 ※仕事自体は、社会資本の企画やデザインに関わる仕事で、能力をフルに使う充実感があり、面白くてやりがいのある仕事でした。
 
 独立後は、経営コンサル会社のフリーランスや、公的支援機関の専門家派遣などで、基本的に日単価清算で、スケールも小さく、過酷な納期に追われるようことも無く、ストレスは、本当に減りました。
 その後も、業務を自分でコントロールできるので、ストレスが少ない状態が続いています。

 中小企業診断士でも、顧客を選べず、請負的に大きな業務をやっているような人は苦悩しているかもしれません。

⑥顧客や組織の人間関係に煩わされない

サラリーマン時代は、楽しいことも多く人間関係的には恵まれた方ではありますが、新入社員時に教育担当から1年無視され続けたり、経営改革提案した結果、社内で孤立した理不尽な経験もしています。


 ※参考コラム:経営改革提案でひどい目に遭った話
        就職・転職は運【新入社員時代の思い出】


顧客との関係も恵まれて、自分の業務で大きなトラブルの記憶がありませんが、同僚のトラブル処理に関わることが多く、中には病的な発注者もいました。
絵にかいたような小役人というか、組織の権威を嵩にきて、威張り散らしたり、馬鹿にしたり、揚げ足取りをしてきたり、無償作業や、不可能な納期など理不尽な要求をしたり、明らかに苛めを楽しんでいる病的な人も見て来ました。

 大体こういう病的な「小役人」は、組織全体を的にして担当者個人を攻撃します。
 すぐに「お前の会社はそういう会社か!」などと怒鳴りだします。すると担当者は、組織に迷惑をかけないために理不尽な要求に応じてしまいますし、メンタルを病む人も多い業界でした。
 顧客を選べないサラリーマンの悲哀と言えます。
 
 独立すれば、同僚・上司・部下はいないので、組織内の鬱陶しい人間関係はありません。
 また、顧客から直接受注していれば、粗さがしをして騒ぐ人が来ても、自分の判断で「じゃあ、もう当社の利用は止めましょう」と提案できる点が本当に良かったと思います。自己責任で顧客を選べるようになります。

 大体がこうやって騒ぐ人は、元公務員か大企業で中途半端に出世した中高年ばかりなので、所属のステータス重視の社会で、年功序列という組織構造が、人間の倫理観が歪ませるのかと、感じることがしばしばです。

⑦収入の納得感

独立前の建設コンサル時代は、ノルマの2倍の6千万円くらいは売り上げ、外注費等の社外流出費は20%くらいなので、当時は、私一人で付加価値を毎年5千万円近く出していたことになります。
 5千万の付加価値を稼いだ報酬が、30歳時で年収600万、その後、建設不況に入って年収300万円台まで下がりました。労働分配率低すぎでした。
 周りをみれば、自分の食い扶持も稼げない人が多数派で、その人達の方が地位も年収も高いのです。
 他の社員を養うために働いているような気分で、馬鹿らしさを感じていました。

 その頃から、営業・受注~業務実施まで一人で完結できるビジネス、やった分が報酬になる世界に憧れを持っていました。
 ちなみに年収2千万貰えても、激務は嫌なので、週三日働いて年収600万位稼げる生活が理想でした。

 独立してからは、利益が他人に中抜きされることもありませんし、収入が多くても少なくても、自分で考えて、自分で決めて行動した結果なので、とても納得感がある点が良かったと思います。

⑧自己能力への満足感

学生時代は、成績は常に中の下で、大学も学歴フィルターに引っ掛かるレベルなので、自己能力は、せいぜい並レベルと考えていました。正直、自分に自信は無かったです。
 ところが、社会人になり5年も経つと、「みんなが逃げる、大きくて難しい業務をやる係」と「同僚が起こした業務トラブル処理係」になっており、誰もやったことのない、どんなに難しい業務でも上手く回すことができました。
 結果として、若手のエースとして評価されてはいたものの、中には「生意気」「楽でおいしい仕事ばかりやっている」と言って認めてくれない人達もいました。
仕事のできない人達を見ていると、自分で考える能力が全くありませんが、当人達は自信満々なのです。
 圧倒的な能力差も「私の思考」も理解できないだろうなと諦めていました。

 ただ、自分の能力には半信半疑で「周りのレベルが低いだけでは?」という疑惑が抜けません。
レベルの高い組織で働きたいと思い、その後、業界最大手コンサルや、国所管の研究機関などで高学歴エリートの中で働きましたが、正直、最初の会社とあまり変わりませんでした。
そこで、自分は「仕事だけはめちゃくちゃできる」と自覚しました。

中途で入った大手企業で年収1000万近くになり、仕事も面白かったので、十分に満足できるレベルではありましたが、
当時は、若手の独立診断士の活躍をブログ等で見て「楽しそうだな~」「俺だって人並み以上にできるはだろう」という思いと共に、このまま大企業にいても、上司(顧客以外の存在)の評価が自分の評価になる現状は変わらないモヤモヤ感がありました。

このままいても、三流大卒で中途入社の私では、一生「よそ者」扱いでしょうし、「自分の可能性」と言う点で勿体ないというか重大な機会損失をしている気がしていました。
そこで診断士に合格した時に、独立して100%実力の世界で「食っていけるのか」、腕試しがしたくてたまりませんでした。

独立時の目標は、まずは「食えるようになる」だけで、公的支援の仕事で、呑気に生活できれば十分かな?と思っていたくらいです。
実際は、半年収入ゼロという想定外もありましたが、面白い経験も積めましたし、法人化し、自分で事業を持ち、100%直接受注でやってきて、大きなトラブルもなく顧客とは長期的な関係を維持しています。
そのため、自分の頭脳だけで、ここまでやれたという自己満足感が高まった点は良かったと思います。

⑨マウンティング対応や、信用面に資格が使える

私個人は、マウンティングされても気にならないタイプで、毒舌な先輩と飲みに行くのは大好きです。
ただし、マウンティングを放置しておくと、人物評を決めつけられてしまい、集団の序列に組み込まれたり、利用されたりしてしまう実害があります。
そのため、人と付き合う時は、「相手が悪意を持っているか」と「実害があるか」の二点は気にするようにしています。

 独立後は、所属のステータスもなく、弱い立場で年齢も40歳目前と若手だったこともあり、当時の50,60代くらいの人達から青二才扱いされることも多く、中には、悪意を持った侮りを感じることもありました。

 そんな時ですが、資格は中小企業診断士と、技術士を三部門(経営工学、建設、総合技術監理)保有していましたので、舐めた態度で、マウンティングしてきたおじさんと、最後に名刺交換すると、名刺に書かれた保有資格を見て、口をパクパクさせて、固まっているのを見るのは、正直、面白かったです。
 このようなマウンティング返しは悪趣味ですが、所属のステータスで優位を取れない分、資格マウントで、難関資格を並べることで、多少は、実害を緩和できる点は良かったと思います。
 また、フリーランスとして働くために、コンサル会社等にアプローチする時も、資格は信用面では効果はあったと思います。 

 実際、私の所に、過去にアプローチしてきた人の中で、無資格の自称コンサル系の人は、とんでもない行動を取る人や、詐欺師や経歴詐称ばかりで、かなり警戒しなくてはなりません。
 中小企業診断士には、そういう類の人は、ほぼいない(私が会った限り)ことは実感しています。
 だから、信用面において、独立時に資格を取得していたことのメリットは大きいと思います。

独立して残念なこ

①所属のステータスの喪失や、収入の不安定さによる軋轢

30代後半で一部上場の業界大手企業、年収1千万も目前という状況で、それを捨てて独立してしまったこともあり、周囲との軋轢は結構大変でした。
私自身は、元々、所属のステータスへの欲求がほとんど無く、無職経験もあり低収入耐性もあるのですが、周囲の人間は耐性がありませんので、不安を感じてしまうようです。

独立に当たって、家族に虎の子の貯金を渡し、3年は文句を言わない約束をしました。
ところが、独立して年収激減の状態になると「3年文句は言わない約束」など、すぐに吹き飛んで文句が出始めます。
特に独自路線を取り始めた3年目は、年収200万と落ち込んだので、「もう3年やったからいいじゃない」と再就職圧力がきつかったです。
私自身が平気であっても、家族は耐性がなく、過度な節約を始めたり、なかなか大変だと思いました。
※ちなみに、自己啓発のバイブルとも言える「金持ち父さん」を図書館で借りて読ませたら、自分がしていることの意味を理解してくれました。 家族の同意が得られない人にお勧めです。

②働いていないと思われる

独立後は、図書館やコワーキングスペースなどを作業場としていましたが、平日、フラフラしていることも多く、知人や周りから怪しい人間だと思われてしまいます。
 一応、都内なので、まだマシだとは思いますが、これが地方だったら相当きついはずです。
 
 悲しいことに、法人化し、仕事が順調になってからもこの状況は変わりません。
 ほとんどの人が、フリーランスやスモールビジネスを、理解できないことに気が付きました。
 仕事とは、「会社に通勤して、お給料を貰うもの」という思い込みがあって、私自身が会社を運営していると説明しても理解できません。「じゃあ本社はどこだ!」などと言い出します。そもそも法人の概念が理解できないみたいです。
 根底には、平日フラフラしている人は「働いていないダメ人間」と思いたい心理があるみたいなので、ご想像にお任せして理解してもらうのは諦めています。

③友人関係の変化

仲の良かった友人・知人とは、大部分が独立後も変わらずに関係を続けていますが、中には独立後に態度が変わったり、付き合いが無くなった人もいます。

一つは、音信不通になる人です。
 共通の友人から聞いた話では「自分が惨めになるから」関係を断ったそうです。

 もう一つは、「自分でビジネスをやっている」という存在について、「怪しい」とレッテルを貼り「俺は騙されないぞ」的に警戒心を露わにしてくる人です。
 これが「何十年ぶりに連絡してきた元同級生」なら、ネットワークビジネスに勧誘されそうで警戒するものも分かりますが、お互いを知っている関係で、本当はそんなことするわけないと分かっていながら、自分の精神的優位を持つために「怪しい人間」と決めつけたい心理があるような気がします。

 自分自身は、やりたいことやっているだけで、独立前後で、何も変わらないつもりなのですが、過大評価されたり、過小評価されたりしてしまいます。 
 こういう場面で「そんなに相対的優劣にこだわっていたのか」と思うと同時に、寂しい気持ちになります。

④オンオフの切り替えが無くなる

独立してみると、自分の報酬は、長時間働けば、たくさん稼げるわけでも、一生懸命やれば、必ず結果が出るわけでもありません。
 収入の最低保証すらありません。
 唯一言えるのは、結果は、運の要素も含めて自分の思考と行動の結果です。
だから、常に、物事を観察したり考えたりしないといけません。
 そのため仕事のオンオフの切り替えが無くなります。
 土日だから休む感覚もなければ、仕事と遊びの境目も曖昧になります。
 ルーチンワーク的な労働は、ごく僅かで、時間的な自由度は高いですが、オンオフの切り替えがない分、何もしていないと時間がもったいない気がしてしまいます。
 完全週休二日で、遊んでいるサラリーマンは気楽でよいな~と思ってしまうこともあります。

⑤人間不信になる

仲良し家族が壮絶な相続争いになる例からみても、人間は「お金」が関わると本性が出ます。
 利害関係の強さは、学生時代の友人 < 会社の同僚 < 独立後のビジネス関係 という感じで、独立すると、お互いの一つ一つの意思決定が、直接お互いの利害に関わるケースが多くなります。

 学生時代の親友と起業すると、大体が喧嘩別れするのは、学生時代は利害があまり絡まないためお互いの本性が分からないからです。

 実際にビジネスをしていると、相手に一方的に譲歩を求める人、一旦譲歩して何度でもしつこく蒸し返す人、都合の悪いことは隠して誤魔化そうとする人、バレると荒唐無稽な言い訳したり逆ギレする人など、様々な人と遭遇します。
 世の中、「目的のために手段を選ばず」的な思考で、自分の利害のためなら、嘘をついたり、あり得ない行動を取る人がかなりいることに驚きました。
共通する特徴は、最初に自分の願望を結論にしておいて、願望を満たすために、無理やりこじつけて正当化しようとしてくるところです。 
そうしたトラブルが無いように事前に綿密に交渉して合意形成し書面まで交わした後ですら、平気で破ったり、隠れて裏取引を持ちかけたりする人が居ます。バレても何が悪いのか認識できないみたいで、別の生き物を見ている気分になります。

これが、高学歴で社会的にはエリートだったりするので困ります。

 こういう人は社内でも、踏みつけにされた一部の部下や取引先に恨まれていると思いますが、利害が絡まない同僚や上司には良い顔をしているので、周りは気づいていないケースも多いと思います。
 独立後は、人間不信度は高まりましたが、一方で、こんな人が顧客や上司だったら最悪だろうな~と、関わらない選択ができる現状にほっとしています。

おわりに

独立してよかったこと、残念だったことをまとめてみましたが、重みとしては、良かったこと95%、残念だったこと5%くらいで、さらに「残念だったこと」は大部分が自分でコントロールできます。
 だから、あの時に独立を決断したことは、自分にとっての最高の選択だったと思います。 

 もし、独立していなくても、それなりの人生だったとは思いますが、間違いなく、心のどこかで「あの時独立していれば」と一生後悔を抱えたまま生きていたでしょう。
 ※60代の後悔の上位が「あの時、挑戦すればよかった」らしいです。

 また、もし独立して失敗していたら、どうなっていたか考えてみると、例えば、独立5年後、1万数千時間も専従してなお年収200万位で低迷していた場合を想定すると、さすがにその場合は、再就職していた可能性はあります。

 ただ、その頃は外資コンサルや有名企業グループのコンサル部門など、いろいろなお誘いを受けていたので、独立に失敗しても、それはそれでまた別の面白い人生があったと思いたいです。
 ※そうなっていたら、どういう人生になったのかは気になります。悲惨だったりして

 まあ、独立するorしないのような大きな人生の岐路において、将来後悔しない方を選んでいけば、一時的な成功・失敗はありますが、どう転んでも最終的には上手くいく確率が高いのではないでしょうか?

 ご参考になれば幸いです。