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中小企業診断士独立体験記 その2 覚悟を決めた3年目

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独立1年目は、診断士のネットワークからの受注はだめで、主に経営コンサルタント会社のフリーランス等によりしのいでいました。
独立してから、自宅兼事務所で開業しましたが、普段は、地元の図書館のビジネスルーム(自習室ですね)というところで作業していました。毎日、朝から夕方まで通勤のように通っていました。
そこには、朝から、参考書山積みの資格浪人や、フリーランスっぽい人、その他、何してるのか毎日来ている謎の人もたくさんいました。仲良くはなりませんが、今日もみんな頑張ってるな~という感じで、そんな中に混じっての作業はかなり捗ります。全然稼げませんでしたが、その頃が一番真面目に仕事していたと言えるでしょう。
時間的余裕もたっぷりあったので、図書館にあった本を読み倒したりして、かなり勉強もしていました。
ストイックな生活で充実感はありました。

独立2年目くらいのある時、図書館にあったwebマーケティングの本で、SEOは、会社ホームページ以外に、専門サイトを作ってしまうのが効果があるというような話が載っていて、なるほどな~と感じました。Contents is king!ってやつです。

SNSやブログの日記調の、どこ行った、何食べたみたいなものは、個人的には苦手でやる気がなかったのですがこれなら、やれそうです。
早速、やれることはやってみようということで、ターゲットとする業界専門サイトや、中小企業診断士(このサイトです)、技術士等のサイトを作り、思いつくままに書けることを書いていきました。
もともと、技術コンサル時代は、私情抜きの根拠で固めた報告書ばかり書いていたのですが、雑学大好き、学生時代はラジオの深夜放送大好きだったこともあり、サブカルチックにあれこれ書くのは、案外、向いているようでした。
質はともかく量は書けました。そうして、書き散らしていきましたが、今読むと、誤字も多く赤面してしまいます。

2年目くらいから、先輩診断士からのお仕事や、公的支援機関からの専門家派遣の仕事が来るようになりました。といっても量的には少ないですが、少しづつ増えました。
3年目に思い切って、技術コンサルのフリーランスを辞めて、診断士業一本に挑戦してみました。
引き合いは増えた理由はよくわかりませんが、支援機関には、独立2年以内には出さないというルールある説や、
作っていた専門サイトが効いたのかもしれません。

3年目は、結構、忙しい1年を過ごしたつもりでしたが、収入は200万に届かないくらいでした。平均単価3万くらいだとして、直接稼働が70日、その他準備や報告書等を含めると150日くらいは動いていたかもしれません。
毎年、右肩上がりに収入が上がると思っていたのに、3年目に落ち込んでしまったことで、家族から不満が出はじめました。

私自身も、もう3年目でかなりスキルフルな状況になっているはずなのに結果が伴っていないことに悶々としてきました。

しかし、さすがに3年近くも、いろいろやって、研究会の飲み会等で先輩診断士の話を聞いて、朝から晩までいろいろ考えていると、診断士業界の状況が見えてきます。

偉そうに青二才扱いしてくるおじさん診断士は、実は全然だめとか、逆にちゃんと稼いでいる人、顧問を何社も抱えている人、セミナーで全国引っ張りだこな人など、様々で、いろんなやり方があります。
その時は、自分でもどうやったら経営コンサルタントとして稼げるか、うすうすは気づいていたのですが、それを実行する覚悟がありませんでした。
なぜ、実行できないか理解できない人も多いと思いますが、長年サラリーマンをやっていて、独立してみたものの、いざ、一人で切り込んでいく、あるいは矢面に立つ度胸というか、「覚悟」という言葉があっている気がしますが、踏み出せないんですね。

ある時、コンビニで偶然「7つの習慣」ダイジェストみたいなものを見ていて、一番頭に、主体的であること、主体的でない人は何も達成できない というようなことが書かれていて、ガツンと衝撃を受けたような気がしました。
まさに自分に足りないのはこれだよな~と感じました。フリーランスや専門家派遣など間接受注に頼っていては、制約が多くて、自分の価値が出せないし、あまり稼げません。
顧客に直接アプローチしなければ、これから先はないと、ようやくここで「覚悟」を決めました。

その3につづく